ブログ八重洲店
五街道の起点、日本橋
五街道の起点、日本橋は古くから人やモノに加えて、さまざまな文化が集まる場所でした。その理由は、江戸時代に徳川家康が五街道を整備したことにあります。
本日は、「五街道の起点、日本橋」についてお話させていただきたいと思います。
五街道について
そもそも、五街道とは1602年に徳川家康が政治支配力を強めるために整備した街道です。
それらの街道は、「東海道」、「日光街道」、「奥州街道」、「中山道」、そして「甲州街道」の5つで、1604年に2代将軍の秀忠によって日本橋が起点とされ、これらの街道が「五街道」として定められたのです。さらに、街道の要所には関所が設けられ、通行人を取り締まったのです。
五街道には、一里塚や宿場が設けられたり、道に砂や砂利を敷いたり、街道沿いに並木が植えられるなどの整備が行われました。ちなみに、一里塚の「一理」とは、約4kmを意味しています。
明治維新によって一里塚や関所などの制度は廃止されましたが、みなさんご存知の通り現在でもその跡が各地に残っており、整備や保存が行われています。
◆東海道
1624年に完成した東海道は、日本橋から小田原や駿府、浜松、宮、桑名、草津を経て、京都の三条大橋までの五十三次を結ぶ約490 kmの街道です。
◆日光街道
日光街道は1636年頃に完成した街道で、日本橋からはじまって千住や宇都宮、今市を経て、日光までの二十一次を結んでいます。
◆奥州街道
奥州街道は1646年に完成し、宇都宮までの日光街道との重複区間を経て、宇都宮から先の陸奥・白河までの二十七次を結んでいます。
◆中山道
「中仙道」とも表記される中山道は、1694年に完成しました。日本橋からはじまって高崎や下諏訪、木曽路の妻籠を経て、草津までの六十七次を結んでいます。
◆甲州街道
甲州街道は、日本橋から内藤新宿、八王子、甲府を経て、下諏訪にて「中山道」と合流する街道です。1772年(明和9年)に完成した五街道の中では最も新しい街道です。
五街道の起点、日本橋
1601年に徳川家康が日本橋を五街道の起点として各地の道路が発達したことで、日本橋には全国各地から多くの人やモノが集まりました。1800年頃になると、江戸の人口は120万人に達し、世界最大規模の都市の一つになりました。ちなみに、同時代のパリの人口は約50万人、ロンドンは約90万人とのことですので、その当時の江戸の人口の多さがわかります。
人の往来や物資の供給などに、「道」には重要な役割があると同時に、道が発達することによって街も発展することを改めて実感させられるのが五街道の起点である日本橋です。現在も進化し続けている日本橋へ、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?
当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。
ぜひ一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。皆様のご来店心よりお待ちしております。