ブログ新橋店

2022.1.27

お刺身の歴史

魚本来の味を楽しむことのできる献立として、和食店で必ず見かけるのは“刺身”や“造り”でしょう。

お皿に美しく盛り付けられた旬の生魚が、日本料理の花形といえます。

本日は、そうしたお刺身の歴史についてお話をさせていただきます。

 

もともとは「なます」料理

柚子なます

刺身は、主に生の魚介類などの素材に応じた切り方で小片に切って盛り付け、醤油などの調味料で味を付けて食べるものです。

その刺身には、野菜や海藻といった“つま”も美しく切り造られ、刺身に添えて盛り付け、刺身と一緒に食べるというのが今のスタイルです。

 

では、この刺身が今のようになるまでにはどのような歴史があったのでしょうか?

 

四方を海に囲まれた日本では、鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあったため、古代から鮮魚を生食する習慣があったそうです。

 

刺身やお造りのルーツとなる「鱠・膾(なます)」という料理です。

2つの漢字があるのは、獣肉を用いた物は「膾」、魚肉を用いて同様の調理をしたものは「鱠」という肉の違いによるものです。

 

もともとは、生肉(獣肉)を細かく刻んだものを「生(なま)肉(しし)」もしくは「なますき(生切)」と呼んでいたものが、室町時代以降になると、切り分けた獣肉や魚肉に調味料を合わせて生食する料理をさすようになり「なます」となっていったようです。

 

“酢”から“醤油”へ

刺身を盛り付ける板前

現代では、なますには、お正月に食べる「紅白なます」のようにお酢が調味料として使われています。(甘酢、二杯酢、三杯酢、ゆず酢、たで酢など)

今に残るなますのように、室町時代以降に、細かく切った魚肉を酢で和えて食べるようになったとされています。

室町時代末期の「四条流包丁書」には、鯉、鯛、鱸(すずき)を刺身としてワサビ酢、ショウガ酢、タデ酢で食べると書かれています。

 

また、調味料としては室町時代から江戸時代には「煎酒(いりざけ)」が加わります。

煎酒は、酒に削り鰹節と梅干を入れて煮詰め、漉して作ったものです。

 

さらに、室町時代の末頃から醤油の醸造は盛んになり、現代の私たちと同じように、お醤油につけて「お刺身」を食べるようになりました。といっても、まだその時代はお醤油は高級品で一部の身分の高い人のみのものだったそうです。

 

さらに、江戸時代となり、醤油の生産が工業化することで一般の庶民にも浸透していき、日本人の「お刺身を醤油で食べる」という文化が一気に広がっていったのです。

 

とはいえ、庶民が今のようなお刺身を食べるようになったといっても、刺身を食べていたのは江戸や大阪といった大都市のみで、山間部や他の土地ではあまり食べていませんでした。

 

明治後期でも、魚全体の消費量は現在と比べれば、8分の1程度だったです。

「魚離れ」といった言葉を聞いて久しいですが、実は現代の方が沢山食べているのですね。

 

多くの日本人が刺身を食べるようになったのは、第二次世界大戦後のことで、これには漁を捕獲する技術の発達、そして流通の発達の影響が大きいです。また、冷蔵庫の普及も大きな要因となっています。

冷蔵庫があるからこそ、手軽に刺身を食べることができるというわけですね。

 

今では、味の美味しさとともに見た目の美しさも味わうことができるのがお刺身です。

ぜひ、当店のお刺身をお召し上がりになってみていただきたいと存じます。

 

皆様のご来店、心よりお待ちしております。

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