ブログ西麻布店

2020.3.24

日本料理のルーツ「大饗料理」

みなさま、「大饗(だいきょう)料理」をご存知でしょうか?日本料理のルーツとされている、平安時代の貴族社会で定められた接待の形式のことなのです。大饗には「二宮大饗」と「大臣大饗」の2つの形式があったとされています。
本日は、日本料理の歴史である「大饗料理」についてお話しさせていただきたいと思います。

大饗料理とは

大饗料理について
冒頭でお話しした通り、平安時代の貴族の宴会から発展した貴族社会で定められた接待の形式です。唐文化の影響を受け「台盤」と称されているテーブルに全ての料理が並べられ、食べる側にも料理の種類ごとに細かい作法が要求されていたと言われています。
珍しいものを食べる事により貴族の権威を見せつけ、野菜は下品な食材とされ食べられていませんでした。あまり健康的とは言えない料理だったようです。仏教の影響で味が良い料理を口にすることがタブー視されていたことに関係がありそうです。

この発展は日本ならではの美意識から来ており、工夫をして美しく見える行動から食べ物へと文化が進んだとされています。

二宮大饗と大臣大饗

二宮大饗と大巨大饗
◆二宮大饗:正月に諸巨が中宮・東宮へ拝謁(はいえつ)を終えた後に朝廷から響応を与えたものだといわれています。

◆大臣大饗:親王などの皇族が、大臣の屋敷を訪れたときの接待料理とされていたといわれています。

献立の内容は参列者の身分によって異なり、貴族の正客は28種類・陪席公卿(ばいせきくぎょう)は20種類、小納言クラスでは12種類・接待をする主人は8種類と最も少なかったようです。また並べられた料理はご飯の他、調味料・生物・干物・唐菓子・果物類であり、魚や鳥類は並べられるが、獣肉類が並ぶことは無かったようです。
一つずつ並べられた調味料を好みで味付けをして食べていたと考えられています。

これらの形式は日本料理のルーツとされていますが、時代と共に食文化は変わり鎌倉時代に入ると有職料理・本膳料理が誕生しました。政治の実権が貴族から武士に移った頃「大饗料理」を維持することが困難になったためといわれています。
本膳料理とは、七五三の膳が形式となっていると言われていますが様々な説があり未だ分かっていないことが多く、有職料理は、包丁と菜箸だけで魚を捌くこと(式包丁)が有職料理の一つといわれています。

今でも京都の料亭では有職料理の名残が残っているところもございますので、機会がありましたら足を運んでみてはいかがでしょうか。

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。

ぜひ一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。皆様のご来店心よりお待ちしております。

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