ブログ銀座三丁目店
夏!!!素麺の語源と由来
お暦の上では立秋ですがまだまだ暑さが厳しいですが、いかがお過ごしでしょうか?
夏の食卓に並ぶであろう素麺ですが、その名前の由来と語源はいったい何処からきたのでしょうか?
また、七夕に素麺を食べるようになった理由 「夏!!!素麺の語源と由来」についてお話しさせて頂こうと思います。
【素麺の名前の理由】
素麺は、腰の強い小麦粉を練って細長く引き伸ばした物をいい、漢字で「素麺」と表します。
もともとは中国から伝来したといわれており、室町時代の文献には「索麺」(さうめん)という名前で登場しているといいます。
素麺を作る工程と、縄をなうという意味から「索」という漢字を使っていたようですが、
江戸時代以降は「さう」と「そう」の発音が混同していき、そのうちに「素麺」という字が使われるようになっていったとのことです。
【七夕に素麺を食べる理由】
素麺は夏に食べるものというイメージがあると思いますが、七夕の時に素麺を食べるという行事があるといいます。
その由来は平安時代にまでさかのぼるとのことです。
平安時代には、七夕の節句で小麦粉とお米の粉を練って縄の形にしたお菓子を食べるという風習があったといいます。
そのお菓子は「むぎなわ」といい、中国から伝来したものだそうです。この「むぎなわ」を食べる風習が、いつからか七夕に素麺を食べるというように変わっていったと言われています。
【流しそうめんと、島原そうめんの由来】
幼少期の時は飽き飽きしていた素麺ですが、流しそうめんとなれば別ですよね。
そんな楽しみだった流しそうめんは、一体いつからそんな食べ方がされていたのでしょうか。
流しそうめんの発祥の地は、宮崎県の高千穂峡だとされています。高千穂峡では、昔から暑い夏の時期の野良仕事の時に、青い竹と石清水を使って流しそうめんが行われていたそうです。そして昭和34年に、地元の企業が商業をしていくうえで、この流しそうめんの文化を全国に広めていったのだと言われています。石清水を流すことによって、いつまでも冷たく食べられるので、流しそうめんをすることで野良作業で火照った体を涼めていたのでしょう。
また、島原そうめんの由来ですが、島原そうめんというのは少しずつ伸ばして熟成を繰り返す「手延べ」で作られている素麺で、コシの強さとつるつるとしたのど越しが特徴の素麺です。そんな島原そうめんは「島原の乱」に関係しています。島原半島では、もともと「大豆素麺」というものが作られていました。しかし、島原の乱が終わり島原半島に住民がいなくなった時に、九州をはじめ各地から強制的に移民が集められ、この集められた移民によって伝えられたのが今の島原そうめんだといわれています。
温暖な気候、良質な塩と小麦、そして綺麗な水といった素麺作りに適した環境だったため、島原そうめんは現在まで受け継がれているのだそうです。
【ひやむぎの由来とは】
素麺との違いをよく言われているひやむぎですが、ひやむぎというのは、小麦粉を練って一旦平に伸ばし、伸ばした小麦粉を均等の大きさに切った物だそうです。室町時代には、これを「切麦」と呼んでいたといい、熱い汁で食べるものを「熱麦」、冷水で冷やした物を「冷麦」と呼んでいたそうで、これがひやむぎの名前の由来だと言われています。
瓢嘻では今の時期、会席の食事で手延べ素麺等を使ったりします。また豚シャブ、牛シャブを頼んで頂くと、最後の〆でそば、うどんを召し上がっていただくのですが、こちらのそば、うどんが豚シャブで使って頂く特製出汁に合うように、製麺所で特別に作って頂いている生そばと生うどんになります。
是非味わってみてください。スタッフ一同、心よりお待ちしております。
瓢嘻銀座三丁目店 料理長 石井学