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十五夜について
日本には、古くからの風習として十五夜の行事がありますが、その歴史の深さをご存知でしょうか?秋の澄み切った夜空に浮かぶまん丸い月を愛でる風習は、実は中国から日本へ伝わったものなのです。
本日は、十五夜についてお話させていただきたいと思います。
十五夜について
お月見とは、ご存知の通り満月を眺めてその美しさを楽しむことですよね。
そんなお月見は、主に旧暦の8月15日~16日の夜と、日本では旧暦の9月13日から14日の夜にも行われています。そういったことから、お月見に関する話題の中で「十五夜(じゅうごや)」や「十三夜(じゅうさんや)」と言う場合は、これらの夜を意味していることになります。
日本だけでなく、中国でも単に月を眺めて楽しむ風習は古くからあり、驚くことに日本では縄文時代ぐらいからあるとされています。ただし、「竹取物語」には月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があることから、月は愛でる対象だけではなく、月見を忌む思想も同時にあったとも言われているようです。
名月の日に美しい月を鑑賞する風習が始まったのは、唐代の頃からということしか分かっていませんが、この風習が貞観年間(859-877)の頃に、日本の貴族社会に入ってきたようです。そして、平安時代の頃になるとお月見の規模は徐々に大きくなり、延喜19年(919)には宇多法皇が日本独自の十三夜の月見を催したとも言われています。
当時、日本でのお月見は詩歌や管絃を楽しみつつ酒を酌むといった雅味な催しであったために、庶民とは縁のないものでした。そういったことから、この頃のお月見は中国、日本ともに供え物などといった宗教的な要素はなく、ただ美しい月を眺めることを楽しんでいたそうです。
日本では室町時代に入ってからもその風習は続きましたが、遊宴としては簡素になっていったようです。そして、室町後期には「御湯殿上日記」に後陽成天皇がナスに開けた穴から月を見て祈る「名月の祝」という祝儀の様子が記録されていることから、名月の日には月を拝み、お供えをする風習が生じていたとされています。
江戸時代前期になるとお月見が世俗化し、十五夜の日は芋煮を食べて夜遊びをするのが一般的となりました。その頃の庶民のお月見にもまだ月見団といったような供え物の記録は見られないので、一般的な家庭で供え物が行われるようになったのは、中期以降のようです。
ちなみに、江戸後期の風俗記録には、「十五夜の日は文机で祭壇をこしらえ、供え物として江戸では球形の、京阪ではサトイモの形をした月見団子を供える」と記録されています。
月見に見立てた料理
特に秋になると、月見に見立てたお料理やメニューを目にする機会が増えますよね。
お月見の際にお供えするお団子がその代表的なものですが、関東では一般的に丸型が主流ですが、関西では楕円形に形作り、きな粉をかけていただくなど、地域によって形や風習は異なるようです。
また、「月見うどん」や「月見そば」も、月見に見立てたお料理です。
茹でた蕎麦やうどんを丼に入れ、場合によっては群がり立った雲やススキに見立てた海苔、またはとろろ昆布やワカメを敷きます。そこへ生卵を割り入れてつゆと薬味を添え、月見の風情をどんぶりの中に見立てたものです。
ちなみに、鍋焼きうどんや味噌煮込みうどんにも卵を割り入れることも多いですが、火が通って黄身が見えにくくなるためなのか、「月見」とは呼ばれていません。
当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。是非一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。
皆様のご来店心よりお待ちしております。