ブログ赤坂店
~10月の調理長ブログ~ 料理の神様 赤坂店
皆さんこんにちわ!
瓢嘻赤坂店の料理長を務めております、石田と申します。
10月に入り、いよいよ秋の空気を感じますね?
さて、いつもなら旬の食材についてお話しさせて頂く流れですが、今回は「料理の神様」についてお話しさせて頂きたいと思います。
料理の神様について
私自身、以前より興味があったことでして、今回調べてみましたのでお話しさせて頂きます。
料理の神様を祀った神社が南房総の千倉にございまして、高家神社というものがございます。
日本書記の記述によりますと、今から約1800年前、西暦で4世紀前半のころ前半の頃、第12代景行天皇(大和武尊の父親)が、安房乃国(今の南房総地域)を訪れた際、磐鹿六雁命が堅魚と白蛤(はまぐり)を獲り、それを調理して天皇にお出ししたところ、天皇はその美味しさにたいへん喜び、勅命をもって子々孫々、大膳職長(今で言う天皇の料理番)に任ぜられました。
この高家神社はその「磐鹿六雁命」を「御食津神」として主祭神に祀る神社で、日本で唯一料理の祖神を祀る神社です。
ここでは例大祭や感謝祭として、一年に3回、庖丁式がとり行われます。(5月17日、10月17日、11月23日)
まな板の上には五穀豊穣を祈願して緑、赤、白、黒、黄の5つの式紙で包まれた蛤が配置してあります。
緑は春、赤は夏、白は秋、黒は冬、黄は神様を現すのだそうです。
庖丁式は古代中国の思想を色濃く残していますので、古来日本では最上の色を「紫」としていましたが、中国古代の五行思想では「黄」を最上の色としていたそうで、庖丁式でもその思想に則り、黄色が最高の色とされているのだそうです。
境内には庖丁塚があり、毎月17日に行われる庖丁供養祭には、調理師など料理に関わる方々が供養に訪れるそうです。
庖丁式のルーツは平安時代初期までさかのぼります。
当時の第58代光孝天皇は和歌、和琴や諸芸に秀でた文化人だったそうで、料理に対する造詣も深く、自ら食材を採取されることもあり、人間が生きていくために他の生き物たちを殺生しなければいけないことに大変心を痛めていたそうで「犠牲となった生き物を供養し、霊を鎮める儀式の形にできないか」という思いを受け、側近で日本料理中興の祖とされている四条中納言藤原朝臣山蔭卿が苦心の末に「庖丁式」を完成させたという誕生秘話があるのだそうです。
厳粛な雰囲気の中、食材に手を一切触れず、古式に則って「式庖丁」と「真魚箸」のみで魚が捌かれていく姿は見事です。
ちなみに料理の際に使う箸は、全般「菜箸」と呼ばれますが、菜箸は野菜を調理する時に使われる箸のことを言うのだそうで、肉や魚を調理する際に使う箸は「真魚箸」と言うのだそうです。
日本料理の文化は本当に奥が深いですね。
続いては鯛の鯛についてお話しさせて頂きます。
肩甲骨と鳥口骨の二つが繋がって出来た魚様の骨のことを「鯛の鯛」、「鯛中鯛(たいちゅうのたい)」などと呼びます。
この骨は胸鰭を支えたり、動かしたりするのに使われ、種類ごとに形が異なるので、近縁の魚を分類するときにも利用されます。
この魚の形をした骨は古くは江戸時代の書物の中に「鯛中鯛」として紹介されております。
他の魚にも同様の骨はございますが、なかでもマダイの物が古来より形が美しいとされ珍重されておりました。
この骨を肌身離さず持ち歩くと金運が豊かになるなどという言い伝えがございまして、また縁起物として収集の対象となることもございます。
また、鯛の鯛以外にも大龍、小龍、鯛石、三つ道具、鍬形、竹馬、鳴門骨、鯛の福玉と呼ばれる骨をまとめて「鯛の九つ道具」と呼び、すべてを揃えれば物に不自由なく福禄を得るという言い伝えがあるそうです。
それでは、長々とお付き合い頂きありがとうございました。皆様のご来店をスタッフ一同心よりお待ち申し上げております。
瓢嘻 赤坂店 料理長 石田龍太郎