ブログ赤坂店
鰯のなれずしのルーツについて
鰯のなれずしのルーツを、みなさまはご存知でしょうか?そもそも「なれずし」とは、日本古来から親しまれているすしで、「究極の発酵食品」とも言われています。なれずしに使用する魚は、イワシとは限らずサンマなどを使用することも多くあります。
本日は、「鰯のなれずしのルーツ」についてお話させていただきたいと思います。
「なれずし」について
そもそも「なれずし」とは「熟れ鮨」もしくは、「馴れ鮓」とも表記するなれずしは、最近注目されている発酵食品です。冒頭でも触れたように日本古来から親しまれているすしのことで、魚と塩、米飯を長時間漬けて発酵させた食品なのです。
その歴史は古く、なんと西暦2世紀ごろからこの製法が用いられていて、日本には8世紀ごろに伝わったとされています。なれずしの正確な起源ははっきりしていませんが、滋賀県の琵琶湖周辺あたりの地域で家庭料理として代々受け継がれてきたものだとも言われています。
現代のようにまだ冷蔵庫がなかった時代は、米と塩を使った発酵させることで、魚をできるだけできるだけ日持ちさせられるように工夫されてきたのだそうです。昔から琵琶湖では鮒が獲れるため、琵琶湖周辺の地域では鮒で作った「鮒ずし」が一般的です。
なれずしの作り方は、まず魚のウロコを落として中のはらわたを取り除きます。これを塩漬けにして、数か月間保存し、米と混ぜることによって発酵させるのです。ちなみに、当初は保存性を高めることを目的に作られていたなれずしは、現代の寿司のはじまりだとも言われています。
鰯のなれずしについて
鰯のなれずしは、文字通り新鮮な鰯を米と混ぜて長期間にわたって発酵させた食品です。さわやかな風味が特徴的であることから、「新しいなれずし」とも呼ばれています。この、鰯を使用した「新しいなれずし」が生まれたのは、千葉県の九十九里浜だとされています。海に面している千葉県は、もともと新鮮な魚を得ることができるため、元々お寿司が多い地域でもあり、九十九里浜周辺の漁師さんたちが鰯のなれずしを作っていたことがはじまりであるようです。
ちなみに、江戸時代の頃はその当時有名だった行徳の塩が使われていました。そのため、徳川家康によって千葉の下総から物資を運ぶために江戸川や荒川などといった河川の整備もされたのだそうです。
一つの食品から、その背景にある歴史を読み解くことは、非常に興味深いものです。ぜひ、みなさまも鰯のなれずしを召し上がってみてはいかがでしょうか?
当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。
ぜひ一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。皆様のご来店心よりお待ちしております。