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葵祭と流鏑馬

いつのまにか日中は汗ばむような季節となりましたが、皆様お変わりございませんでしょうか。本日は、葵祭についてお話させていただきたいと思います。葵祭とは、京都で5月15日に行われている例祭です。別名賀茂祭、北の祭などと呼ばれています。それでは葵祭について詳しくご紹介していきたいと思います。

 

葵祭の歴史

葵祭

 

葵祭の歴史は古く、567年欽明天皇の時代に始まったとされています。この頃の日本は雨風が激しく、コメや野菜などの作物が実らなかったそうです。そこで、当時の賀茂の大神の崇拝者である伊吉の若日子に占わせたところ神々の祟りであると言われたそうですね。そこで、若日子は天皇による勅命で4月の吉日に祭を行いました。馬には鈴をかけ、人は猪頭をかぶり競走したところ、風雨はおさまり、作物も今までとは見違えるほど豊かに育ち、国内の生活も安定したと言われています。

819年には最も重要な恒例祭という事で朝廷から国家的行事に制定されました。

あの有名な源氏物語の中にも葵祭についてのエピソードが乗っています。

葵祭の斉王列を見物しようと光源氏の妻、葵の上と六条御息所が車争いを演じた場面が登場するそうです。また、紫の上は幼少期に、光源氏とともに勅使の役目を終え帰る際に牛車の中から祭を見物したと言われています。

このお祭りが葵祭と呼ばれるようになったのは江戸時代の1694年と言われています。この時にお祭りが再興され、簾から牛車、勅使の冠などすべてにおいて葵の葉を付けることになったために葵祭と呼ばれるようになったそうですね。さらに元々、加茂神社の神紋が二葉葵なのも由来するそうです。

葵の紋といえば徳川家の三つ葉葵が有名です。この三つ葉葵も加茂神社の神紋が由来とされている説もあります。徳川家康の先祖である松平信光が賀茂朝臣と名乗っていたこと、松平家は三河賀茂郡松平郷の出身であることから大変関係が深いものとされているようです。

 

葵祭の前儀、流鏑馬

流鏑馬

 

葵祭では様々な前儀が行われていますがその中でも最も有名なものは流鏑馬ではないでしょうか。流鏑馬は糺の森の真ん中にある500メートルほどの馬場を射手と呼ばれる武家風の装束や公家風の装束を着た人が、走っている馬の上から3つの的を射るというものです。

走っている馬に乗りながら的を射ることは非常に難しい為、高度な技術が必要とされます。

射手はイン・ヨー!と言う掛け声を発して矢を放ちます。これは陰陽の事だそうです。見事に矢が的に命中すれば五穀豊穣、願いは叶うと言われています。

流鏑馬の歴史は457年、雄略天皇の時代にうまゆみと呼ばれるものを行ったと日本書紀に記述があります。これには賀茂祭に民衆を集めて騎射を禁ずと記されています。

その後の古い書物にも記載があるためかなりの歴史がある伝統行事と言えます。

また、1502年に理由はわかりませんが中断されていたそうでしたが、その後また復興し現在に至るそうです。

現代の流鏑馬は儀式や祭典として行われていることが多いですが、その他にもスポーツ流鏑馬として競技になっていることもあるようです。こちらは、乗馬クラブが中心となって行われています。2002年に流鏑馬競技連盟が日本伝統の騎射の技術及び文化の伝統、和種馬の存続を目的として始めたそうです。

 

今回は葵祭についてお話させていただきましたがいかがでしたでしょうか。日本の伝統文化に興味を持っていただけたら幸いです。

 

当店では、すき焼き、しゃぶしゃぶをはじめ、様々な旬の食材を使った料理をご用意しております。是非一度当店自慢の料理をお召しあがりになってみてはいかがでしょうか。皆様のご来店心よりお待ちしております。

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