
朝の喧騒が嘘のように、街に穏やかな時間が流れる頃、料亭 瓢喜の1日はゆっくりと幕を開ける。
出勤してきたばかりの仲居たちは、まず着物に着替える。鏡を見ながら、襟元を調え、帯を締める。同時に凛と気持ちが引き締まる。
スタッフ同士、お互いの着付けをチェックすることも日課だ。「一緒に働いている仲間の髪型や服装など、ちょっとした変化に気づくことも重要です。」と、女将は言う。スタッフ同士の些細な変化に気を掛け合う、そんな日常の姿勢がお客様への自然な気配りに変わる。

着付けが終わると、仲居は外に出て開店の準備を始める。暖簾を上げ、看板を出し、水を撒く作業だ。これから始まる1日のルーティンを確認しながら、丁寧に作業をおこなう。次は窓やテーブル、階段の手すりなど店内を隈なく掃除する。
「せっかく来ていただいたお客様に快適に過ごしていただくために、掃除は大切な作業です。毎日、心をこめてやるよう、指導しています。」と、女将が教えてくれた。「私が働き始めてから、ずっと通っていただいているお客様がいらっしゃいます。その方が人生の様々なタイミングでお店を使っていただいていて。節目の時に緊張するお顔を拝見した時は、胸がいっぱいになりました。」

毎朝届く食材のチェックから料理人たちの仕事が始まる。産地直送の新鮮な野菜、魚介や肉。まず食材の検品を行い、鮮やかな手さばきで魚の下処理をおこなう。食材選びは、腕の見せ所だと活き活きとした表情で語る料理長。「同じキンキでも、一本釣りのものもあれば、定置のものもあって値段はピンキリでしてね。魚体の大きい魚などは頭の部分はどの料理に使うか、脂のある部位はどういう風に調理したらより美味しくなるか、魚を見るだけでイメージがどんどん膨らんで楽しいんですよ。」

ランチの準備と並行して、夜営業に向けての仕込みもおこなう。まず始めに鮮度が重要な魚を水洗いし、おろし、上身にしてお刺身が引ける状態にする。次におひたしなどにする野菜を、ゆがき(料理用語で材料を短時間で茹でること)、煮る。
その後、お店の看板料理であるしゃぶしゃぶの出汁を作る作業。鰹節と昆布からじっくりと旨味を抽出する。日本料理は、仕込みによって味が大きく左右するのが特徴である。臭みやえぐみなどを取り除き、素材が本来持つ味を最大限に際立たせることが出来る。
見た目はシンプルなのに食べてみると、深い味わいが何重にも口に広がる。丁寧な仕込みは、奥深い日本料理には不可欠の要素だ。

午後の休憩時間では、調理とホールスタッフがコミュニケーションを取ることも多い。料亭は料理だけでなく、お店で過ごす時間の全てをお客様に楽しんでもらう必要がある。調理場と接客の一体感がなくては、お店全体の雰囲気が崩れてしまう。接客、空間、料理が1つとなった時に、お客様にとって最高の場所となる。そのために、何気ないひと時のコミュニケーションは重要だ。

少しずつ気温が下がり、夕日がビルの間にゆっくりと沈み出す頃。スタッフ全員で慌ただしく夜営業の開店準備に取り掛かる。
仲居は、翌日の予約確認の電話、当日のお客様の予約内容の最終確認をおこなう。「最近ではグルテンや蕎麦など、アレルギーを持っているお客様もよくいらっしゃいます。特に海外のお客様はベジタリアンの方も多いですね。アレルギーは命に関わる事なので事前の確認は慎重におこないます。」と女将。
お客様の情報を確実に調理場へ伝達し、接客スタッフと料理人が認識合わせをおこなう。こうした伝達や確認作業は、女将の数ある仕事の中でも多くの時間を占めていて、大切なお客様をおもてなしするための重要な業務である。

夜の営業が始まる。続々とお客様がやってきて、お店は活気に溢れる。18時から20時位が最も調理場がもっとも忙しい時間帯。下準備はすべて日中におこなっている。準備万端。お客様がお揃いになったらスムーズに、料理をご提供できる段取りだ。
毎日忙しく調理に向き合う料理長は、どんな食材でも無駄にしない事が、こだわりだと言う。「すべての食材には様々な人が関わっています。作る人、売る人、運ぶ人。その食材を最終的に仕上げるのが私たちの仕事であり使命。全ての人の想いを背負って調理する責任を感じています。」

接客スタッフにも大切にしていることを聞いた。「お客様には、普段では体験できないような非日常の空間と時間を提供したい。接客スタッフ全員が、話し方、姿勢、表情、‥それらの所作一つひとつに対して気持ちを引き締めておこなう事で、お店全体に洗練された空気を作り出す事ができるのです。」

お客様も徐々にご帰宅され、お店は終息に向かっていく。最後のお客様のお見送りが終わると、片付けと掃除をして、スタッフ全員で店じまい。
料亭 瓢喜を通して、たくさんの人に心休まる時間と空間をご提供したい。そして日本料理のすばらしさをもっとたくさんの人に知っていただきたい。そんな創業当時の思いを忘れずに、明日もまた、スタッフ一丸となってお客様をお出迎えする。